Jリーグが始まったのが1990年代初頭ですが、その始まりの年にリーグを席巻していたのが東京ヴェルディ1969の全身であるヴェルディ川崎です。
しかしそんなヴェルディが強かったのは過去の話で、現在の東京ヴェルディ1969は2部リーグで5位から10位を行き来する中堅チームに成り下がっています。
なぜ創世期に席巻したチームがここまで弱くなってしまったのか、その弱くなった理由は楽観主義による世代交代の失敗に尽きます。そもそもヴェルディが強かった理由は、ラモスを除いて他の選手の年齢が25から28と体力と技術のバランスが良かったのです。しかしサッカー選手に限らずプロスポーツ選手は28歳を境に強い肉体の維持が難しくなります。そのため始まりの年は躍動したのですが、それから5年ほど経つとメンバーが衰え始め個人の能力に頼ったサッカーが出来なくなります。
本来その地点で若返りを果たすための行動を起こすのが普通ですが、しかしメンバーの大半が人気のある選手だったために外すことが出来ず若返りが難しくなってしまったのです。そしてヴェルディに憧れて入ったのにメンバー入りが出来ないと理解した若手の多くは、その環境から脱するために他チームへと移籍をしてしまいます。それでは才能ある若手が全てベンチからいなくなるので、当然ながらチームの平均年齢が高くなりリーグ中盤になると疲労の蓄積で失速してしまいます。
さらに追い討ちを掛けたのが先に言った楽観主義であり、始まりの年は三浦和良を中心に人気の選手が多かったことで数多くの企業がこぞってヴェルディに契約を持ちかけたのです。その結果経営陣はスポンサーが勝手に契約に来るので、これからもこの流れが続くと思い込み契約成立のノウハウを構築しなかったのです。
しかしJリーグ100年構想が始まると、各地にプロチームが設立されその地元企業の多くが地元のチームを応援するようになります。それによって関東の企業は関東にはヴェルディしかなかったためにスポンサーになっていただけなので、同じ関東に川崎フロンターレやFC東京といったチームが出来ればそっちのスポンサーになってしまいます。人気だからと楽観視し契約成立のノウハウを構築しなかったために、全てのスポンサーが離れたことで資金繰りが悪化し選手を集めることもできなくなったのです。
これがかつてリーグを席巻した東京ヴェルディ1969が弱くなった理由になります。